Special 大胆かつ繊細に、熱い心で、鉄を叩く

蠣崎良治(鍛鉄工房ZEST)さん 金属

西洋鍛治師として火と鉄でものづくりをしている蠣崎さんの工房を訪ねました。千葉市若葉区、八街市にもほど近い、緑豊かな場所でした。

工房全景。1階部分が工房、2階部分にギャラリースペースを制作中

鉄との出会い

ものづくりにであったきっかけをおしえてください。

ギターをつくる専門学校がものづくりの最初です。音楽が好きで、小さい頃から何かをつくることも好きだったので、ギターを作る学校を選びました。卒業後はローディ―というミュージシャンの裏方仕事の職に就きました。でも、自分はどうも裏方気質ではないなと思って退職。いろいろな職につき、やはりものをつくることがしたいと、和楽器をつくる会社へ。そこは分業制で、それぞれが三味線の一個の部品をつくるという形で、それも何か違うなあと思いながらも、その会社で鉄を扱うおもしろいおじさんのところに入り浸っていました。その人は、自分で図面を描いて鉄を加工して和楽器を効率よくつくるための機械をつくっている人で。自分はバイクに乗るのも、改造するのも大好きで、その人のところでバイクの部品を作らせてもらうのが楽しみでした。はじめて鉄を加工させてもらい「うわぁ面白い!」と思う体験をしました。

サラリーマン生活と葛藤

そこから現在の鍛冶の仕事への進んで行かれたいきさつは?

東京で本気になれることを探していたのですが見つからなくて、バイクで骨折したことを機に、いったん実家に戻ることにしました。地元で金属加工の会社を見つけ、ここならバイクの部品が作れると思い、入社しました。休憩時間にはバイクの部品を思う存分作らせてもらいつつ、しっかり働きました。27歳で結婚し、あこがれだった戸建てに住むことになったときに、表札は自分で作ろうと思いました。賃貸だったため、スタンドタイプで花が生けられるようにしたくて、自分なりにデザインし、鉄で文字を切り抜くのをひたすら練習しました。完成して「うわぁ、何だこれは、たのしい!」と衝撃を受けました。自由にものをつくる喜びを感じ、鉄の表情や形の変化が面白くなり、鉄の加工技術や作家さんについて調べるようになり、初めて鍛冶屋というものを知りました。金属への視点が工業的なものから工芸的なものへと変わっていきました。鉄を真っ赤に熱して、ハンマーで叩いて形を変える、「こんなことができるなんて、すごい、自分もやってみたい」と思う一方で、「こういうことができるのは一握りの天才だけで、自分は美術的なものや、工芸的なものに触れてこなかったから無理だ」と、心の奥に気持ちを抑え込んでいました。長男も生まれ、会社でも評価していただき、普通の幸せも感じていて、自分はこれでいいんだと言い聞かせていました。
そんなときに東日本大震災がありました。まだ幼い子どもと妻と一緒にものすごい揺れを感じ、テレビの画面には見たこともない光景が広がって、心も大きく揺さぶられ、生まれて初めて「生きる」ことについて真剣に考えました。小さい頃一人で家にいることが多く寂しい思いをしたので「いってらっしゃい」「おかえり」と言ってあげられる暮らしをしたいなという願いがあるのに、出張で二か月くらい家を留守にすることが多く、自分の生き方はこれでいいのかな、本当に幸せな生き方ってなんだろうとくすぶっていていました。自分自身がニコニコ笑って、ハッピーでいるところを子どもに見せたいけれど、自分は心から楽しんで生きていないなと思いつつ、でも家も探しはじめていて、これでいいんだ、これでいいんだと言い聞かせていました。
ある晩、出張先でパソコンにむかい、不動産屋に土地と家を決めるためのメールを書いて「送信」を押したら、自分の人生が決まるという時があって、同時に弟子入りしたいと思う鍛鉄作家さんがいて、二晩くらい眠れずに考え、最終的に不動産屋にはごめんなさい、と、鍛鉄作家さんには弟子入りさせてください、のメールを送り、妻に電話で「不動産屋は断った、弟子入りさせてくださいと連絡した」と報告しました。帰ってきてから話しましょう、と言われました。
それから家族に説明し、鍛鉄作家さんのところには弟子入りさせてくださいとお願いに行き、断られました。でも、こちらはもうここに決めたと気持ちが盛り上がってしまって後には引けないので「修行させてください。給料はいらないので」とお願いしましました。家を建てるために貯めていた貯金とアルバイトで、何とかなるかなと思っていたので。はじめは断られたものの、ちょうど独立される方がいて、晴れて弟子入りが認められました。

初めて鉄を切り抜いて作った文字。切り抜く作業がたのしくてたまらなかったそう

修行生活で得たもの

修行生活はどうでしたか?

修行先は秩父の工房だったので、近くのアパートを探し、妻と1歳の長男と引越し、家族3人での修行生活がスタートしました。修行先ではロートアイアン(西洋鍛鉄)の作品づくりを一から学ぶことができました。他の皆さんは、優秀な方ばかりで、これを自分ができるようになるのかな、だいじょうぶかな、すごいところに入り込んでしまったな、と我に帰るときがありました。でも、来ちゃったからやるしかないな、と。そして、家族がいたから、耐えられました。家族がいなかったら、耐えられなかったですね。
秩父での生活は人間を変えてくれました。鉄を叩いて鍛えるということだけでなく、自転車で山を越えて修行先に通い、道端に咲いている花はこんなに綺麗だったんだと感じたり、季節を感じたり、人間らしい感情を取り戻す生活でした。それまで身に着けていたジャラジャラしたものを全部手ばなし、それまでの、お金でモノを買って使う暮らしではなく、手で作ったものを使う喜びや、ゆっくりと歩いて景色を眺めたりする喜びのある暮らしを教えてもらいました。

修行の仕上げにつくり方を教えてもらったというハシという道具たち。

工房と自宅とが一緒になった暮らしのスタート

今の工房との出会いは?

修行を始めたときから、長男が小学校に入るときには千葉にもどってこようと決めていたので、学校が近くにあり、音出しても大丈夫な場所という条件で、ずっと物件を探していました。引っ越しの期日が近づいてきて、妻がネットで探したこの場所を実際に見に来て、手を加えれば何とかなるかなと思い、自然も多いここに決めました。縁もゆかりもない場所だったので不安もありました。最初の年に台風で隣の木が倒れてしまい、チェーンソーで片付けを手伝ったことをきっかけに「鉄をやるんです」と話すようになり、ご近所とのお付き合いも始まりました。ここはもとは事務所として使われていたようなのですが、コンクリートを流し、道具をそろえ、工房を整えてきました。今は2階部分に実際に作品を見てもらったり、打合せしたりできるギャラリースペースを制作中です。

工房で、実際に作業するところも見せてくださいました。これは鉄で葉の形をつくっているところ 丸い棒がみるみるうちに、葉の形になっていきます

あっという間にできあがった葉

ギャラリースペースには、門扉などの大物も展示

大胆かつ繊細に

これまでの制作活動を通じて、変わってきたことはありますか?


独立し、ひとりでものづくりをしていくことになり、これまで勢いで突き進んできたけれど、自分自身と深く向き合うようになってきたと思います。また、人の手から生み出されるものや、先人たちが積み上げてきた今に、より敬意をもつようになり、人との触れ合いもより尊く感じられるようになりました。
これからも誰かにとって価値ある物を世に残せる鍛冶師の一人として常に挑戦し続けていきたいと思っています。また、丈夫で使いやすく愛着を持って一生使いたい と思ってもらえるような暮らしの道具もつくっていきたいと思っています。

にわのわグループ展にも並ぶ予定のフライパン。重さや持ち手など、細かいところまで使う人を思ってつくられています

グループ展にむけて、ひとことお願いします。

サラリーマン時代にお客さんとしてにわのわを訪れたとき、それぞれに自分の表現をしている作家さん達がとてもまぶしく感じました。そして、いつか自分自身も自ら価値を生み出せる人間になりたいと思い、もがいて、今があります。自分が誰かの心を動かせるものづくりができていたら嬉しいです。

右側の鉄筋で作られた斧の制作過程の動画は蠣崎さんのYouTubeチャンネル「RYOJIの鉄ぐらし」にアップされていてかなり注目を集めています。蠣崎さんがつくる動画も見る人への細かな配慮満載

(聞き手・文:濱口さえこ 取材日:2021年7月24日)

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RYOJIの鉄ぐらし:https://www.youtube.com/channel/UC4EgjKwGas14w4a-6kQCJxw

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